たぶん毒親に育てられた
多分うち母は教育熱心の皮を被った毒親だったんだと思う。
「私だって叩きたくないのに言うこと聞かない方が悪い!叩く手の方が痛い!」と言いながら叩く
幼少期に知らないことがあるとみんなの前で「なんでそんなことも知らないの?」とばかにする
夜起きてたら「キ○ガイなんじゃないか」
「あんたって性格悪いね」
「ママ恥ずかしかったよ」
「〇〇にいくらかかったと思ってるの」
言われた言葉は覚えてる
進路などコントロール、外見の否定、親より優秀や幸せになることを妬む、友達&彼氏批判、職業差別…今思えばそれでも20歳くらいまでは愛されていたと思ってた
でも
自分が結婚して子供のことを考えるようになった時、自分がされたことを思い出して“毒親”だったと思う。
昔だったら過干渉と言ったのかな?
そうして育った私は自己肯定感が底辺の指示待ち人間へ。
異常に彼氏に尽くしたり、顔色を窺ったり意見を言えない性格に。
バースデーブルーで誕生日前には毎年死にたくなっていた。
親も離婚するときに裁判でもめにもめたから、結婚に夢も希望もなし
親が離婚した子供は離婚率が上がるらしいと知って、わたしもそうなるんだ、と思った。
結婚なんてしたくなかったし子供は得体の知れない未知の生物、言葉が通じない、怖い、自分の意思で行動できないなんて嫌ぁ!と思ってた
きっと30歳超えても私は子供だった。
毒親なんて言ってるうちは子供気分ってことだと思う。
結婚してもしかして親になるかもって思った時『親とは?』と考え始めた。
私にとっての親はそんな母とマザコンの父。
理屈っぽい父とヒステリックな母の通訳をよくしていた
だから両方の言いたいことと、伝わってないことがよくわかる。
これは社会に出てからも役に立った。
親に関しては長くなるから書かないけど、自分の結婚や子供に関するトラウマはだんだん吹っ切れてきた。
今の夫に出会ってからは良くも悪くも期待しなくなった。
「どうしたらいい?」
「なんて言ったらいいの?」
と言われて、よく考えたら何もしてもらわなくてもいいし言わなくていいって気づいた。
最初から結婚に夢も希望も持たなくてもいい
誕生日も大きすぎる期待に勝手に裏切られてるだけだと思った
ずっとどこかの誰かに何かしてもらえるのを待ってるお子ちゃまだったんだなって
そう思ったら自分の希望や意思をはっきり言った方がいいし、自己プロデュースが大事だって気づいて
わがままを言えるようになった
今までの“めんどくさいと思われたくない、嫌われたくない”恋愛とは違った
わがままを言っても聞いてくれることと、却下されることがあることを知った。
わがままも文句も言える関係が、結婚には必要だったのかもしれない